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脈々と受け継がれる「こだわり」の精神 | ||||||||||||||||
天山酒造 |
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佐賀県小城市小城町岩蔵1520 | |||||||||||||||||
天山酒造のルーツは水車業。 現在地(佐賀県小城市)で小京都小城の祇園川の清流を利用し、水車業を営み 製粉・製麺業を文久元年(1861年)に開始します。 当時、鎖国中の日本が海外へ積極的に目を開き、勝海舟が咸臨丸でアメリカへ初航海を行った頃の事です。 七田家は水車業をして既に地元の造り酒屋からも酒米の精米を引き受けていました。 明治8年(1875年)、廃業される蔵元から酒造道具のみでなく酒蔵まで購入依頼を強く受けて 初代蔵元となる七田利三はやむなく町内の酒蔵を購入してしまい この結果、「七田家は造り酒屋をも始めるらしい…」との風評が広まり、酒造業を始めることになったというのは嘘のような本当の話。 水車業からスタートした製麺事業は大正、昭和と当時最高の製造設備で操業したが、昭和30年代後半で終止符を打ちました。 昭和21年春に戦後の地方農業の復興を夢見て、農業者のリーダーの育成を志し、私財を投じて、専門の農業大学を創立。 また、昭和30年代当時希少であった酒造好適米「雄町」を直接自身の圃場で栽培するなど 原料段階から徹底したこだわりの酒蔵経営を行っていました。 日本の高度成長期(昭和40年代)に日本酒の消費拡大に対応すべく 精米設備の整備や仕込みサイズの変更、瓶詰め設備の近代化などを行いました。 また、当時はまだ知られていなかった純米清酒(無添加酒と称していた)も先駆けて醸造し 純粋日本酒協会の会員として「純米酒の普及啓蒙活動」にも積極的に取り組んでいます。 「こだわり」の精神は現在も天山のDNAとして脈々と引き継がれ 「品質第一の酒造り」の姿勢で原料となる酒米栽培からこだわり 契約農家と年に何回も品質向上のための研究会を実施するなど、「酒造りは米づくりから…」との思いは 経営の理念として掲げる「不易流行」の「不易」の部分です。 その後も積極的な設備投資を行い、品質向上に取り組んでいます。 代表銘柄は「天山」、特約店限定銘柄に「七田」があります。 |
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